夏と言えばサングラスやワンピースのほかに欠かすことのできないファッションアイテムとしてアロハシャツがありますよね!
ハワイでの定番服としてはもちろん、自治体のクールビスとしてもオリジナル制服としても着用されているのを見るほどアロハシャツは夏の定番服です。
そんなアロハシャツですが、実は日本ととても深い結びつきがあるのをご存じでしたでしょうか。
今回はそんなアロハシャツについて日本との関わりなどをご紹介したいと思います。
■移民の作業服が起源ともいわれている
アロハシャツの起源は諸説ありますが、日系移民が深く関わっている説が有名です。
19世紀から20世紀にかけて多くの日本人が南米やハワイへ移民として海を渡っていきました。ハワイへ移住した日本人の多くはサトウキビ畑の労働者として働いていたと言われいますが、その時に来ていた「パカラ」とよばれる作業服がアロハシャツの原型になっていると言われいます。
パカラシャツとも呼ばれる開襟シャツは、ヨーロッパの船員たちが来ていた長袖の上着が起源とされ、その素材が日本人にとってなじみのある絣(かすり:幾何学模様に織られた着物)によく似ていたこともあり、日本人移民者の間で広まっていきました。
※左:パカラシャツ
右:1890年代の日系労働者
■アロハシャツを命名したのは日系の仕立屋さん
日系移民の人たちは日本から持ち込んだ着物や浴衣が古くなると、子供用のパカラ風シャツに作り替え、普段着としても使用されていました。
日本独自の着物柄や浴衣柄は海外の人にとっては新鮮で目を引くものでした。着物柄のパカラシャツは徐々に人気を集めハワイ国民の間でも広がっていきます。
そんな中、仕立屋ムサシヤ・ショーテンは「和柄」の生地をつかったシャツを仕立て1935年に「アロハシャツ」という言葉を初めて新聞広告として使用したと言われています。
※左:仕立屋ムサシヤ・ショーテンが作成した初期のアロハシャツ
右:1922年に発行された広告冊子
また当時のハワイには着物や浴衣に使用されているほどの染色技術を持った工場がなく、アロハシャル用の生地は日本、とりわけ友禅で有名な京都や大阪で染色された生地が輸入され、ハワイでアロハシャツが仕立てられていました。
その後、1950年にはエルビス・プレスリーが映画でアロハシャツを着用していたのも大きな反響となり、アロハシャツの存在が広く知れ渡るようになっていきました。
■ボタンの種類によって呼び名が変わるアロハシャツ
実はボタンの素材によってアロハシャツと呼べるか、呼べないかが決まるルールがあるのをご存じでしょうか。
ヤシの木やヤシの実(ココナッツ)製のボタンを用いたものはアロハシャツと呼ばれ、プラスチック製のボタンのものは「プリントシャツ」「アロハ風シャツ」と呼び分ける流儀がアロハシャツにはあると言います。
現在ではボタンの種類によって呼び分けることも少なく、開襟とプリント柄のシャツをアロハシャツと呼ぶ人がほとんどですが、ボタンの種類によって呼び方が変わる文化を持つなんて、格式の高さを感じますね。
いかがでしたでしょうか。
夏の定番アイテムである「アロハシャツ」。ハワイで誕生したファッションアイテムと思っていましたが、起源は日本の着物や日系移民にも関係し、作られる生地は日本から輸入されていたと聞く、不思議な縁を感じます。
暑い季節ではありますが、アロハシャツで夏を楽しむのもいいですね!